2016/9/7 リオデジャネイロパラリンピック ~心と社会のバリアフリーへ~
リオデジャネイロパラリンピックが、9月7日から開催されます。
オリンピックの興奮も冷めやらぬ中、日本勢の更なる活躍に期待したいところです。
パラリンピックの歴史は、まだ70年。1960年ローマオリンピックと同じ年に行われた大会(第9回国際ストーク・マンデビル競技大会)を、後に第一回大会とし、1964年東京大会が第二回大会となりました。回を重ねる度に、その注目度は高くなり、今や、オリンピック、サッカーワールドカップに次ぐ、世界で3番目の大きなスポーツイベントに成長しています。
さて、リオパラリンピックですが、日本選手団には、世界のトップクラスの選手が少なくない中で、この大会では、特に、走り幅跳びの中西麻耶選手に注目しています。中西麻耶選手は、今回のパラリンピックで3度目の出場になります。北京、ロンドン、そして、リオデジャネイロです。
中西麻耶選手は、高校時代、ソフトテニスの強豪校で活躍していていました。高校を卒業し、国体を目指していたある日、アルバイトの建築現場で、5トンの鉄骨が崩れ落ち、右足に直撃という悲劇が襲い、やむなく右足を切断する決断をすることになりました。
その後、導かれるように障害者競技の道に入り、抜群の運動神経を活かし、すぐさま、トップアスリートの地位にまで登り詰めたのです。そして、北京では入賞を果たし、その後アメリカへ武者修行に行くことになりますが、競技生活を続けるための資金確保として、セミヌードカレンダーを出すことになります。世間の猛烈なバッシングの逆風を浴びながらも、ロンドンオリンピック出場を果たしますが、結果は惨敗。その後うつ病を発症し、競技人生に終止符を打ちかけましたが再起して、リオデジャネイロパラリンピックの出場権を得たのです。
彼女の壮絶な生き様は、「ラスト・ワン」という本に描かれています。
パラリンピックに出場する選手は、月並みな言い方ですが、人知れず、様々な困難を乗り越え現在に至っていると思います。その生き方、生き様が、競技そのものに反映され、見るもの全ての人に感動を与えることになるのでしょう。一人一人がパラリンピックの社会的意義の理解を深めることが、目に見えるバリアフリーと心のバリアフリー社会の実現への近道になると思います。